「思い出す」という不思議 | 静岡福祉大学

ニュース

「思い出す」という不思議      

お知らせ

  ある時、テレビの討論番組の司会者の名前が気になって、思い出そうとしたことがあります。しばらく考えて、姓は分からないが、名は「コウタロウ」ではなかったかと気が付きました。それを手掛かりにして、姓の方を探った結果、「タワラ」ではないか、「タワラコウタロウ」という名前ではなかったかと記憶が戻って来ました。しかし、どうも、名前がどこかずれている、食い違っているという感じがあります。これ以上、なかなか記憶がよみがえらなかったので、仕方なく調べてみると、その司会者は「タハラソウイチロウ」という名前であることが分かりました。「俵孝太郎」は間違いで「田原総一朗」が正しかったのです。

  「タハラソウイチロウ」が出なかったことよりも、「タワラ」抜きの「コウタロウ」が飛び出してきたことに驚きました。二人とも政治の討論番組に出ていたのですが、風貌がかなりちがいます。似ているのは「タワラ(タハラ)」という姓です。

  もしも、「タワラ(タハラ)」という姓の方を先に思い出して、次に「コウタロウ」が出てきたのならば、「タワラコウタロウ」という人は確かにいるのですから、よくある勘違いとして済ますことができます。しかし、「タワラ(タハラ)」という姓が出ないうちに、「コウタロウ」という名が出てきてしまったのです。その司会者と何のつながりもない「コウタロウ」がいきなり出てくる理由がないのです。

  以下は推測ですが、記憶をたどっている時、私たちは一つの事をきちんと思い出し、次に、関連する事を思い出すという風に頭の中で順序を踏んでやっているのではなく、「タワラ(タハラ)」という姓が思い出せない時でも、「タワ」とか「タラ」とかいう音の断片が瞬間に浮かんだり消えたりしていて、あるタイミングで「タワ…コウタロウ」という音連続を引っ張り出したのではないか。まだあいまいな音のカケラにすぎない「タワ…」が、「コウタロウ」を引きずり出すだけの力を持っていたのだ。この後で、「コウタロウ」が「タワ…」に「タワラ」という形を与えた。「タワ…」→「コウタロウ」→「タワラコウタロウ」という、行ったり来たりの探索活動があったのではないか。なかなか思い出せないといっても、私たちの意識の下で、記憶の断片が点滅していて、次の記憶を引きずり出そうと曲芸師のような技を駆使している、そんな絵図を思い浮かべるのです。

(子ども学科 久島 茂)

現在使用しているテンプレートファイル:single.php