To have or To be | 静岡福祉大学

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To have or To be

教員ブログ

近頃、若者の間で「断捨離」が流行っているという。それはヨガの一つの行法であり、人生や
日常生活に不要なものを「断」ち、「捨」てることで、物への執着から「離」れ、身軽で快適な
人生を手に入れようという考え方、生き方、処世術だそうだ。確かに物の所持や、物への欲望を
捨てると体も心もすっきりする。
これと似た考え方に、エーリッヒ・フロムの「To have or To be」という考え方がある。
エーリッヒ・フロムは、社会学・心理学の学者であり、「生きるということ」という著書の中で、
「持つこととあること」の違いについて、様々な角度から検討している。例えば、禅の鈴木大拙
が言及した、次の二つの作品の比較からも説明している。

・芭蕉の俳句
眼をこらして見ると
なずなの咲いているのが見える
垣根のそばに

・テニソンの詩
ひび割れた壁に咲く花よ 私はお前を割れ目から摘み取る
私はお前をこのように根ごと手に取る
小さな花よ―― もしも私に理解できたら お前が何であるのか、根ばかりでなく、お前のすべ
てを――
その時私は神が何か、人間が何かを知るだろう

テニソンは、人々や自然を理解するために花を所有する必要があるようだが、芭蕉は花を摘む
ことを望まず、花を見ること、花と一体化して自身と花を生かすことを望んでいる。
あることと持つことの違いは、人を中心とした社会と、物を中心とした社会の相違とも考えられ
ている。
To have or To be、「それは、人が何も持つことなく、何かを持とうと渇望することもなく、
喜びにあふれ、自分の能力を生産的に使用し、世界と一になる存在様式である。」
物にあふれた現代社会の中で、改めて「人が生きる」ということについて再考してみてはいかが
だろうか。
(福祉心理学科 徳山美知代)

徳山2015

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