中村哲さんのこと | 静岡福祉大学

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中村哲さんのこと

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 私が初めて中村哲さんのことを知ったのは、2001年の9.11事件の後だった。当時、テロ実行犯組織であるアルカイダをかくまう組織が存在するとされたアフガニスタンは「テロとの戦い」において敵であり、それを倒すべくアメリカやイギリスによってアフガニスタンは空爆されていた。世界が、それぞれの立場で敵と味方に分けられ、皆、混乱していた。

 そんな時に、テレビの画面を通して、アフガニスタンの現状を静かに語っていたのが、中村哲さんだった。灌漑のやせた土地に、懸命に暮らすアフガニスタンの善良な人々について静かに語り、それが空爆によって大きな被害を被っていることを、本当に静かに、静かに語っていた。静かな語り口だったけれど、私に敵ではないアフガニスタンの姿を見せてくれた。「そう、敵と味方なんて簡単に分けられるわけはない。」当時、学生だった私にそう教えてくれたのは、中村哲さんだったと思う。そして、ペシャワール会の活動を知り、深い感動を覚えた。

 私が二度目に中村哲さんのことを意識したのは、2008年の伊藤和也さんの拉致事件だった。

 本当に、許せない理不尽な事件だった。また、私の中に「敵と味方」に分ける考えが浮かんできた。事件後、中村哲さんが、本当に悔しそうな表情で、テレビで事件について語っているのが印象的だった。そして、事件後も中村哲さんがアフガニスタンに残って、水路づくりを続けると知り、驚きに似た感動を覚えた。「中村哲さんって、すごい・・・!」

 私が三度目に中村哲さんについて考えるようになったのは、2019124日、襲撃されて亡くなったというニュースだった。一報を受けて、全身が冷たくなるのを感じた。「どうして・・・?」

 その後、中村哲さんを偲ぶ報道や、その功績、残された中村哲さん自身の文書などを目にすることが増えた。そして、中村哲さんが、「地の塩、世の光」として生きたことに対する感謝の気持ちとともに、イエスがそうであったように、中村哲さんが復活すること(復活していること)を確信した。

  

                  子ども学科 上野永子

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