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〈いのちのいとなみ〉のある風景

教員ブログ

 学生時代の体験だからもうずいぶんと古い話になります。

 大学から数キロ離れたところに国立病院重症児病棟がありました。友人に誘われて初めて訪れたとき、身体を貫くほどの痛みを感じました。「重症」という障がいゆえではありません。四点柵の小さなベットが並び、その一つひとつに子どもたちが活きているというその「非日常性」が痛みの主因でした。

 その日を契機に週末には子どもたちの食事介助やシーツ換えにボランティアとして通いました。およそ2年ほど続いたでしょうか。

 

 それから四半世紀、あるとき学生の実習の事前準備のために、ある県立の重症児施設を訪ねました。縦長の広い病棟には、看護しやすいように足長の四点柵ベットが整然と並び、その多くには幾本かの点滴の管が吊されていました。その瞬間、フラッシュバックのように、若き日の国病での情景が甦りました。

 長き年月を経てもなお、重症児(者)のケアは何も変わっていないこと、いまもなお一畳にも満たないベットが彼/彼女らの〈生の空間〉であること、を目の当たりにしました。帰路の道すがら涙したのは、これまで主題とすることなく真摯に向かい合わなかったことへの自省の念からでした。

 

 それから15年あまり、私にとって「重症児(者)の地域支援」はライフワークとなっています。ベットの上ではなく、地域にこそ〈居場所〉をみつけて「ふつうの暮らし」をつくっていくことが大切な主題となりました。

 静岡県には同じ主題を共有する当事者と家族、そして多職種の仲間たちが大勢います。近年は重症児()支援のための『多職種連携研修』が県内8ブロックで開催されています。今春のあるブロックでのシンポジウムでは、若い歯科医師が医療機器を携えて重症児の在宅医療を続けているという報告がありました。

 年月は待たず、状況が俄に好転しているとは言えませんが、それでもこうした報告を耳にすると、近未来に向かって確実に変わりはじめているという実感があります。根気よく今も取り組みが続いています。

 

追記:コロナ禍で2月下旬から始まった全国の小中高校と特別支援学校の一斉休校措置。特別支援学校の子どもたちの様子が気にかかりました。ある特支では、5割は放課後デイ、1割は臨時的に学校、そして4割は家庭であったと。そのとき家庭以外に〈居場所〉のない子どもたちに〈地域〉があったのだろうかと思い返しています。

健康福祉学科 増田 樹郎