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医療的ケア児(*)〈いのち〉への問いかけ

教員ブログ

24時間365日、医療的ケアを必要とする我が子。コロナ禍が拡がりはじめた頃、母は子を護るために、誰とも会わず、家のなかにひっそりと暮らしていくことを覚悟しました。二人して過ごす半年は、これまでになく密度の濃いひとときでした。言葉のない我が子との沈黙の会話であっても、母の心はそれなりに満たされていました。

 

でも他者との〈縁〉は遠ざかり、以前にように親しくつながることはありませんでした。コロナ禍に隠されて身近な他者の日常性が見えなくなり、触れあうことなく、語りあうことなく、刻まれていく秒針の音だけが響いているかのような我が家。「だれか助けてください」と幾度も声をあげそうになりました。それでもそうすることのできない感染の怖れが母と子の心を縛りました。息を潜めて過ごした長い半年でした。

 

 医療的ケア児とは誰のことなのでしょうか。以前にはこの子たちも含めて「重症心身障害児」と呼んでいました。人工呼吸器、経管栄養、気管切開、痰吸引など、障がいのなかでももっとも重い子どもたち。医療と福祉の狭間に落ちて、話題になることは多くありません。それでも〈いのち〉のいとなみは閑かに続いています。

 

 昨年度末、静岡県では県内の重症児者及び医療的ケア児等に関する調査を行い、今夏その報告書がまとまりました。およそ10年前にも同様の調査をしています。一連の調査の過程に深く関わってきました。

 医療的ケア児等であることは、〈きょう、ここ〉を生きるうえで多くのケアを要します。〈あす、かしこ〉もまた同じ状況が続きます。〈きょう〉と〈あす〉の二つの時の〈間〉をつなぐために、いまもなお「家族(母)」がケアの担い手であることを調査は示しています。

 

 調査結果の『考察』を締めくくるとき、私はつぎのように記しました。

 「『親亡き後の保証』という言葉がいまもなお聞こえてくるのは、本人・家族の「現在」の安心が揺らいでいるゆえであろうか。それとも我が子の「明日」に希望を託さざるをえない現状ゆえであろうか。」と。

 

 〈いのち〉への問いかけ、その奥底にイノセンスInnocence(無条件の愛)を見るのは誰なのでしょうか。

 

(*)「医療的ケア児」ということばが法制化したのは、2016年6月の児童福祉法改正でした。そこには「人工呼吸器を装着している障害児その他の日常生活を営むために医療を要する状態にある障害児」(第 56 条)と記されています。この9月、「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」が施行されました。

 

                                                                                                                                                             健康福祉学科 増田 樹郎